Vol.58 2007.10.16チャイナフリー?マックフリー?
前号でもハンバーグを食べた私ですが、ハンバーガーは私の大好物です。最近アメリカではチャイナフリーが合言葉になっています。子供達が遊ぶトーマスのおもちゃ、ドーラちゃん人形に鉛や口にすると有害な基準値を超える塗料が問題とされています。食べ物も中国産野菜は敬遠されたりしています。
私はハンバーグと並び中華料理も大好きで、ちょっと何かを食べるときにパンダエキスプレスなどのチャイニーズのファーストフードにも行きます。パンダエキスプレスの人気メニューはオレンジチキンとブロッコリービーフ。ファーストフードとは思えないおいしさで、これに焼きそば、チャーハンを盛ってプレートを作ってもらいます。そのパンダエキスプレスもこのところのチャイナーフリーで売り上げを落としているようです。人が口にするものですから体に悪いものは排除したいものです
一方、アメリカの食文化だけでなく文化そのものになった、ファーストフードの代表マクドナルドはどうでしょう?今、世界中で一番大量の牛肉を売る店、ポテトを売る店、フライドチキンを売る店(チキンナゲット)そしてコーラを売る店。桁違いの販売力を持つマックの大量の購買力は生産のシステム自体を変えてしまいました。地元の気候に合った磁場の野菜、肉などの生産者たちを効率経営の名目のもと廃業に追い込み、競争力があるものだけが市場に参加するシステムを構築しました。
コーラもそうです。マックとともに世界中に進出をして成分を明らかにしないまま、多額の宣伝広告費を投入し、消費者の選択肢まで取り上げて販売しているのです。具体的には赤字で経営がうまく行っていない学校に、多額の寄付金とともに教育委員会を抱き込んで、水を置かずコーラの自販機やマックの出店を認めさせることなどをしています。その結果、子供達の多くは虫歯を持ち、早くから肥満の問題を抱えることになります。エスキモー(この言葉は差別用語だそうで、今はイヌイットと呼ばれています。)の多くの人たちはこのマック、コーラのやり方によって内臓障害など健康を害しています。
アメリカのファーストフードは、海外に出店することで新しい顧客を作りし発展してきました。今、中東に出店したマックの要り口は銃を持ったガードマンがいて、コンクリートで固めた耐爆弾仕様だそうです。マクドナルドこそが現代のアメリカ文化そのものを体現しています。
チャイナフリーを叫ぶのなら、コーラの中身、マックの肉、フライドポテトの揚げ油、チキンの餌に何を使用しているのかを明確にすべきだと思います。それがフェアーと言うものではないでしょうか?
マクドナルドよりクアアイナが好きな浅野より。
Vol.57 2007.10.14アロハフェスタ
9月15日ワイキキは朝からざわざわとしている。そう。今日はアロハフェスティバルでカラカウア通りを全面通行止めにしたパレードがあるのです。アロハフェスティバルは今年で61回目。今年はスペシャルイベントでU.S.AIR FORCE(アメリカ空軍)による航空ショーまで見ることが出来る。今年のフェスティバルのテーマは『ハワイの王族』だ。各島から女王が馬に乗って行進する。華やかな行進だ
午前10時ほら貝の音とともにアメリカ陸軍の行進が始まる。GI刈にした新兵達がザッザッと歩いてくる。後にUSO(慰問団)がマリリンモンローのように歌いながら車に乗ってやってきた。白い馬に乗ったprincess of Mauiが投げキスを送る。ハイスクールのマーチングバンドが続く。ワイパフ、モアナルア、イオラニ、聖心、マリーノール、ミリラニ、カイザー、地元のマーチングバンドがそれぞれに衣装を凝らして歩いてくる。
私が一番カッコいいなと思ったのがカメハメハハイスクールのバンドだ。ハワイ人の末裔を特に意識している彼らが選んだ曲は『アロハオエ』。ハワイ最後の女王リリウオカラニ作の名曲だ。赤と白のおそろいのユニフォームがおしゃれだ。イオラニハイスクールの下が黒のズボン、上が赤と白のアロハの組み合わも素敵だ。たくさんの人々から声援を受けてワイキキ通りを行進することが子供達は誇らしく、みんなそれぞれ嬉々として歩いている。子供達をサポートしている大人たち。馬の糞を拾って歩く人たち。みんなそれぞれがこのパレードに参加していることを楽しんでいる。その他、ハワイアンエア、ヒルトン、など協賛の会社の有志達が続いてパレードに参加していた。
そして航空ショー

午後2時半から約20分F18戦闘機6機による航空ショーが始まる。午前のパレードが終わってから考えた。「航空ショーをどこで見るのが一番か?」そして出てきた答えは『yesダイヤモンドヘッドの頂上。・・』昨日のマカプウハイクで山登りが苦にならなくなったようで、二日続けて山登りに挑戦だ。途中ダイヤモンドヘッドグリルに立ち寄り、手作りハンバーグとライスをプレートにしてもらいダイヤモンドヘッドクレーターで食べようと考える。勢い込んでクレーターに入ろうとすると無常にも『今日は登山禁止』の看板が出ている。『F18を上から見下ろす』みんな考えることは同じだね------。ちょっぴり残念な気持ちで部屋に戻って昼ごはんを済ます。さて、どこで見ようかな?カピオラニ公園は超一杯。ビーチもすごい人出だ。
ありました。灯台元暗し。一番近いところに素晴らしい場所がありました。泊まっていたパシフィックビーチホテルには、海に面してワンフロアーに1個ずつバルコニーがあったのです。最上階まで上がりカメラをセットして待っているとアメリカ人のカップルがやってきた。Mr&Mrsロバートです。ロバートさんはアメリカ空軍の退役軍人で、いろんなところで航空ショーを見ている人だ。今回のチームはサンダーバードと呼ばれアメリカ空軍の精鋭部隊。空軍開設60周年の行事でアメリカ国内を何箇所か転戦しているとのこと。通常の航空ショーのフォーメーションは4+2+1の7機がセットで、4機が編隊飛行をし、2機が大回りをしてフレームを作る。1機がスペアーだそうだ。
丁寧な解説を聞きながら2時半を回ると突然大きな爆音が聞こえてきた。ホノルル空港は軍事基地でもあって、1分ほどでワイキキまで飛んでくる。4機がそれぞれ1メートルも離れずの超至近距離で飛んでくる。続いて2機がさかさまで目の前を飛び過ぎていく。ものすごい音だ。こんなワイキキの町の中を音速で飛べるのかと聞くと。いや、『音速では飛ばない。本当に跳んだら、ガラスは割れるし大変なことになるからね。』高度30メートルのところを機首を上げゆっくりと歩くように飛んでいる。確かにすごい。ワイキキ中が熱気に包まれている。サーファーが波に乗らずに上を見上げている。20分ほどで航空ショーは終りカピオラニ公園の人々が思い思いに散っていく。Mr.Robertに解説のお礼を言って良い写真が取れたら送りますと言って別れた。
浅野
Vol.56 2007.10.13マカプウハイク
早々と9月14日金曜日に三宅君が日本に帰り、ノースウエストのマイレージチケットの空席の関係で2日間一人居残りとなりました。この14.15.16の三日間がイベント盛りだくさんでした。空港で三宅君を見送り、一気にパリハイウエイを走りカイルア方面に行く。ヌアヌパリを過ぎるとカネオヘの町が見えてくる。日本の道では考えられないほど急な下り坂ですが、ハワイの人たちは急勾配の下り坂を結構飛ばして走っている。今日は前から行きたかったマカプウ岬へ登ることにした。初めてのところなので、みんなを連れて行く前に探検しようと思ったのです。
オロマナの交差点を右に曲がりワイマナロ方面に直進する。ホームコースのオロマナカントリーを左に見て直進。曙ママが働いているマーケットを通り過ぎ、パトリックのギャラリーも通りすぎる。ワイマナロビーチパークを通り過ぎると、左手に美しいエメラルドグリーンの静かな海が迫ってくる。前方にウサギの形をしたラビットアイランドが見える。そして目指す赤いやねのマカプウの灯台も。
去年マカプウの麓に駐車場が出来たので、ここに車を止めることが出来るようになったけれど、それ以前は車を止めるとすぐ窓が割られるので旅行者には危険スポットでした。ゲートの一番近くに車を停めてまっすぐ歩き始める。ハイキングということでダイヤモンドヘッドくらいだろうと思って登り始めたのですが、これが結構きついのです。まず日陰がまったく無い。ひたすらまっすぐに登り一回左に曲がるだけ。ここまで約20分。あまりに単調な登り坂と暑さで頭がぼーっとしてくる。折り返すところで群青色の海が目の前に見えてくる。海の色がまったく違う。遠くにモロカイ等、マウイ島が見える。鯨の繁殖期にここにきたら絶対に鯨が見えるはずです
六根清浄お山は晴天」昔の人たちはこうした言葉を唱えてお山に登ったという母の言葉を思い出しながらひたすら歩く。途中、がけの上で静かに座って瞑想らしきことをしているカップルがいる。下は断崖絶壁。そこから落ちたら間違いなくアウト。このポイントは恋人岬か?韓国のドラマ『シュリ』の丘か?折り返しから15分やっとの思いでマカプウの展望台まで上がってきた。ラビットアイランドが本当のウサギのように見える。向こうに見えるのは亀の形をした島。下に赤い屋根のライトハウスが見える。・・・絶景・・・です。上で15分くらい休んでいたら赤ちゃんをバギーに乗せたママが上がってきた。息も上がっていない。母は強い。若者達が走って登ってくる。みんな元気だ。わたしゃへばった。
下りは約15分。早くも足のもも筋が笑っている。山は登るより下りのほうが遭難しやすいなんて誰かが言っていたような気がする。遠くにダイヤモンドヘッドの裏側が見えてくる。車までもう少し。
マカプウハイクのコメント・・・昼は暑いので高齢者、子供は絶対登らないほうが良い。登るのは朝早めに。頭にぬれた布や帽子を被って登ることをお勧めします。日陰はまったくありません。飲み物補給は忘れずに。風が強いので被っている帽子などを飛ばされないように注意。
山登りで富士山にいつか登ってみたいと思っていましたが、この言葉を思い出しました。『一度ものぼらぬ馬鹿。二度登る大馬鹿。』私はきっと富士山には登らない馬鹿を選ぶでしょう
浅野
Vol.55 2007.10.04資源価格上昇
最近の鉱物や資源価格の上昇はいろいろなところに影響を及ぼしています。ハワイアンジュエリーを扱う私たちが直面しているのは、金やシルバーの価格です。金は5年前1グラム約1,300円でシルバー20円はプラチナは2,200円前後でした。
この原稿を書いている10月1日現在、金は2,900円銀は56円プラチナは5,430円と、それぞれ倍以上に値上がりしています。以前、ハワイでお求めになったハワイアンジュエリーを、リフォームのためにお預かりすることがありますが、現在の価格をご説明すると皆さん「ずいぶん高くなったのね」とおっしゃいます。世界の鉱物資源の価格を予測解説できるほど詳しいわけではありませんが、貴金属に関してはしばらく高値が続くと思います。直近で大きく下がる要素は見当たりません
アメリカがイラクの石油支配を狙ってフセイン政権を倒し、その後のイラクの統治に失敗したことが中東だけでなく世界の石油価格を跳ね上げました。1バレル=約159リットルが20ドル台から70ドル台まで跳ね上がりました。ブッシュがテキサスの石油会社のオーナーであることを考えると、イラク政策で一番儲けているのは、やはりブッシュファミリーだといわれるのは当たり前。ブッシュは流される血より油のほうが大切と言われて批判されています。
石油に代表される鉱物価格の上昇は日本など資源輸入国の立場を弱くし、反面、資源国の経済を大きく潤しました。軍事政権が支配しているミャンマーも天然ガスの輸出大国です。アルミニウム、ウラニウム、鉄鉱石などを産出するオーストラリアも金利が高いこともあって通貨は70円台から100円台へと大きく上昇しています。
先日、ハワイの新聞で興味深い記事を見つけました。最近の資源価格の上昇によって通貨の製造コストが大幅に上がっているというのです。1セントのペニー(銅貨)を作るのに約1.5セントかかっていると言うのです。そのうち、ペニーを集めて溶かし、再販売する不届きな輩が現れて、マーケットから1セント銅貨がなくなる恐れもあるとありました。通貨変造の罪は重いので、そのリスクをとる人間が現れるかどうか?しばらく見ていましょう。アッ、ドールパイナップルパビリオンの1セントの形を変える機械は罪にはならないのかな?
『儲けることが善、損することは悪』資本主義が行きすぎると、あまり良いことは起こらない気がします。ちなみにうちのジュエリーは、それぞれ安いものではありませんが、長い間安心してお使いいただいけるものをお作りしています。
今回はちょっとだけ宣伝をしてみました。
浅野
Vol.54 2007.10.01クイーンエマ
8月のオアフから戻ってホロホロを書き終わらないうちに、9月のハワイ出張になってしまいました。今回の旅行は、建築士の友人と一緒に福岡店のイメージ決めるためです。一級建築士の資格を持つ三宅君と、いろいろな建物や内装を見ることで、ハワイの建築だけでなく、ハワイの歴史をより深く知ることが出来ました。
イオラニ宮殿から始まり、ホノルルアカデミーオブアーツ、クイーンエマのサマーパレスなどを観光客の目でなく、そこに流れている空気、香り、色、光、影、多くを吸収しようと、限られた時間で動き回りました。
今回ホロホロでご紹介したいのはクイーンエマのサマーパレス。パリハイウエイの途中にあるこの建物には以前から訪れていたのですが、今回はハワイ王朝全体に流れている歴史そのものを知りたいと思いました。私どものホームページにもハワイアンジュエリーの歴史が書かれていますが、ハワイアンジュエリーの原点がこの場所にあると思います。
クイーンエマはハワイ王朝のカメハメハ4世(リホリホ)のお妃(女王)でした。彼女はイギリス人の血を引いていました。クイーンエマの母方の祖父は、カメハメハ大王がハワイ王朝を統一していくときの軍事面の相談役であったジョン・ヤングでした。(日本の幕末に薩摩と長州藩にいたイギリスの軍事顧問のような人だと思ってください。)ハワイ統一に成功したカメハメハ大王は彼を王族の一員として迎えました。孫娘であるエマは英国のマナー文化を学び英国国教徒(イギリスキリスト教徒)となりました。
1856年エマは幼馴染の王族アレクサンダーリホリホ(カメハメハ4世)と結婚し、名実ともにハワイの女王となりました。その幸せな結婚は長く続かず27才という若さで一人息子のアルバートと夫リホリホを亡くしました。『2つで始まり3つに増え何故か今は1つになった』クイーンエマの悲しみの気持ちを伝える言葉として残されています。
時代は大国の植民地取り合いの真っ只中、地政学的にアメリカの影響を受けながらも、イギリスを手本とした王制を取ることが、ハワイのとるべき道だと考えていたクイーンエマはハワイにセントアンドリュース教会を設立し、ハワイの進むべき道を示していきました。その後の王位はロット・カメハメハ(カメハメハ5世)に継がれて行きました。5世も王位継承後10年待たずに死去し、その後の王位はカメハメハの系統からルナリロ、カラカウア、最後の女王リリウオカラニへと移っていきます。クイーンエマはハワイ王朝の最後を見ることなく1885年49才で永眠しました。
以前訪れたときには、クイーンエマの悲しさしか感じることが出来なかったのですが、今回の取材でハワイをそして人々を心から愛し、人々から敬愛された女王エマを知ることが出来ました。ハワイの精神的なバックボーンの一部を感じることが出来たこと、もう一度ここに来れたことに感謝します。
浅野
Vol.53 2007.09.20I am a resident.
免許を頑張って取ったので、すこし元を取って見ようと言うことで、今までビジター料金を出してプレーしていたゴルフ場へ予約を入れて見た。行きつけのコースオロマナゴルフコースへ連絡をして、朝早めの7時45分のスタートをとる。電話したとき Are you a visitor?と聞かれたが、No, I am a resident. と答える。@快感@
いつもはワイキキからマッカリー通りに出てH1 westにのり、パリハイウエイにのりカネオヘ方面にいくのだが(約30分)今回写真撮りのために遠回りをしてハワイカイ、ハナウマ方面ワイマナロからオロマナを目指す。(約40分)
朝ご飯がまだだったのでハワイカイのジッピーズに立ち寄る。静かな入り江の中に立つ家々に、たくさんのヨットがつながれている朝のハワイカイの美しさは別格です。日本でいうと葉山の日陰茶屋くらい高級なレストランがつくれるのに、この場所で24時間営業でテイクアウトのジッピーズとは、ハワイの人たちはなんと恵まれた環境にいることか!と、思わずためいきが出る。
ハワイの若大将になったつもりでブローホールの横を通り過ぎ、約20分でオロマナカントリークラブに着く。受付で私の免許を見せたら一緒に回る吉田さんもカマアイナレート(地元の人の値段)になった。85ドルが35ドル、50ドル×2で100ドル得になった。
しかし、二人そろってレンタルクラブというのが気恥ずかしい。
ここだけでなく、ハワイカイカントリーやマカハなどハワイのゴルフコースは海風の影響を受ける。テールウィンドウ(フォロー)アヘッド(アゲインスト)だけでなく、パターを使うグリーン上も風向きによって転がりがまったく違ってくる。今日は、レンタルクラブだから二人とも良いスコアは期待できないと思っていたら、テーラーメード社のクラブが最新のもので思わず二人そろって『このクラブ欲しい。』の声が出てしまう。
18ホール上がったらちょうど12時。キャディーマスターのエドと話しているところへ支配人がやってきた。吉田さんと私『このクラブいいねー。』支配人『だろ。うちのコースは一番新しいテーラーメードを入れたんだ。これはテーラーメードの戦略でレンタルクラブを借りた人が、振りやすくっていいスコアがでたら、そのクラブを買ってくれるって言い出すだろうって考えたのさ。』確かにそうだ。このところスコアが伸び悩みの二人はテーラーメードの460ccのクラブのよさをしっかり覚えて帰りました。
午後からコアの工場まわりの予定です。
浅野
Vol.52 2007.09.18オアフのレストラン事情
ハワイ滞在中の大きな楽しみは食べ物。日本食、韓国料理、中華、タイ料理、メキシコ料理、ハワイ料理、イタリアン、フレンチ、オアフ島はほとんどの国の地域の料理を食べることが出来ます。必ず行く定番の店に新しいお店を少しずつチェックしてザガットサーベイのようにリストを増やしています
このところのお気に入りはベトナム料理。パクチー(香菜)が苦手の人、これが食べられないのは損です。東南アジアの料理に入っているパクチーは、始めは食べられなくってもいつか必ず食べられます。絶対に慣れます。ケアアモクにあるマイランレストランはオーナーのサムユーさんが起したベトナムのお店。
美蘭(MAI LAN)
1244 Keeaumoku St.Honolulu, Hawaii
(808)955-0446
年中無休 am10:00〜pm9:00
ベトナムは長い間フランスに統治されていたため、西洋と東洋を上手にミックスしたものが多い。カレーを食べながらフランスパンをたべるのもおいしいです。春雨と蟹を醤油スープに入れて煮込んだもの。ペパーミントと牛肉を入れた汁そばベトナム麺(ホー)。などハワイ気候と良く合うおいしさです。一度是非トライしてみてください。
今日の夕食は吉田さんファミリーとビーチウォークに新しく出来た日本料理の店に行く。いつも行っているカパフルの和さびがリニューアル中で、もうすぐ『なだまん』とジョイントするため営業していない。レストランの入れ替わりが激しくなってきている。藪そばはもう無いし、今回驚いたのは老舗のレストラン『京や』が閉店してしまっている。すごいショックだ。
『京や』に特別な思いがあるのは今から40年以上も前の経験からです。日本中がみんな生き生きして元気一杯だった頃、当時の子供たちのほとんどは東宝の加山雄三の若大将シリーズとクレーキャッツ、そしてゴジラ対モスラなどの映画3本立を見ていた。私も目白にあった映画館に良く通った。南長崎にあって朝入場して3本続けて見て、もう一回繰り返しで4本目も飽きずに見てた。ニューシネマパラダイスの世界ですね。
わたしが一番好きだったのがハワイの若大将。当時まだまだ貧しかった日本人すべての憧れがぎゅっと詰まっていた映画だった。カッコいい加山雄三演ずる京南大学の田沼雄一(設定は赤坂の老舗すき焼きや田能Qの跡取り息子)がハワイに行って日系の人が経営する『京や』の娘(前田びばり。真木蔵人のママ)とお見合いすると言うストーリー。田中邦衛の青大将、そして星百合子があとを追ってくる。ロケでハナウマの先を走るオープンカーから見えるまぶしく光る青い海。超満員の映画館中全員でわーって言うため息が出たのを今でも覚えています。
振り返って考えると私とハワイをつないだ原点はこの映画からだと気がつきました。『京や』の閉店を心から惜しみます。
浅野
Vol.51 2007.09.05初ATM
免許取得で4時半起きをして全エネルギーを使ったためか、ワイキキに戻ってから疲れがどっと出てくる。ハワイに来る直前まで仕事していたから緊張がどっと押し寄せてきた感じだ。娘もどっか泳ぎに行っているのでちょいと一休み。1時間ほど寝て目を覚ましたらお腹が減ってきた。体がコーヒーと甘いものを要求している。
そうだ、マラサダを買いに行こう。マラサダはやわらかい(パフタイプ)揚げたてのドーナッツ。私は伝説のクリスピークリームドーナッツと双璧をなすものだと思います。ちょうどこの時期、埼玉県大宮そごうのハワイアンフェアで日本初上陸と銘打って出店していたそうだ。マラサダよ、君も日本に来るのかい?一人で2個は間違いなく食べれるのでハーフダズン(6個)買おう。一番シンプルなものをオリジナルと呼ぶので、オリジナル、ハーフダズンと、注文する。部屋に帰るとみんな帰ってきている。コーヒーを入れてもらってホット息をつく。このところ忙しかったからこうしたゆっくりとしていなかったなー。
今回は出発前、銀行に行く時間もなかったので現金も底をついてきた。日本円キャッシュをホテルや銀行で取り替えると手数料が大きくかかる。いつもはトラベラーチェックにしておいてそれをフロントで現金に換えてもらいます。こうすると日本でドル現金に替えるより1%は安くなりますが、そのトラベラーチェックもないのです。一緒の時期にハワイに来ている友人の吉田さんファミリーがいいことを教えてくれた。
『浅野さんABCにATMがあるよ。普通のクレジットカードで現金をおろせるよ。』機械オンチの私は『ATMって何?』カードで現金がその場で引き出せるんだったらと早速やってみることにした。あるある。ABCの入り口に「ATM」とある。VISAカードを入れると日本語での案内が出てきた。暗証番号を入れると20ドルの倍数を入れてください。と表示が出てきたので20×10の200ドルを引き出すことにした。
キャッシング?クレジットカードにつける?と表示されたのでクレジットカードにつけるを選んだ。何であれ人からお金を借りるのが嫌いな私ですが、このATMの前に立つとクレレジットカードも実は借金なのだなーと妙に実感する。このところ118円前後レートなので請求のとき手数料ががいくらになるのか知りたいです。(この原稿を書いている今日のレートは116円。株大暴落のさなかです。この為替に関してだけは、今日現在のところ得したことになってます。)
浅野
Vol.50 2007.09.02免許試験本番
昨日手にした仮免許を肴に、ハワイに滞在している娘の友達ファミリーと食事会。虹のマークが入った仮免を見て『これでゴルフはめちゃくちゃ安くなるね。』『ひょっとしたらホテルまで?』『今度ハワイに来たら僕も取りたい・・』など、それほどこの免許は使えるのです。
今日が本番。松本社長が朝5時きっかりに迎えに来てくれる。ハワイキで萩原さんをピックアップし、まだあたりがうす暗い中ワヒアワに向かう。パーリッジの街灯明かりが美しい。6時前に試験場の到着、そこで7時まで直前の路上教習を行う。『ターンアットネクストコーナー』松本社長が本物の教習所の先生のようだ。本番直前の私への注意は大体以下の通り。
●交差点で完全に停車すること。ローリングストップ(動いてしまい完全に停止しないこと。)は絶対だめ。
●右に車線変更する時、右を振り返り見ること。
●交差点の歩行者を完全保護すること。
マックで運転ルールの確認をして、いよいよ試験場に。ここで松本社長と別れ、前日から順番取りのため並んでくれていた、ハワイ大学生のK 君と合流し一緒に受付に入る。(後ろの人たちごめん。一番先頭だ。)
ロードテスト(路上試験)料金8ドルを払い受付の外で待っているとMR.Asanoと呼ばれる。
私の試験官のイメージは60歳くらいの頭のつるっとした男性だったのだが、思惑がはずれ落ち着いた感じの女性だった。『緊張していますがどうぞ宜しく。』と精一杯の笑顔で挨拶をする私。整備状態(方向指示器、ストップランプ、ワイパー、クラクション)を確認してもらいシートベルトをして試験場を後にする。
ターンライト、ネクストコーナー(次の交差点を右折)。(しっかり交差点で止まって3秒待っているよな。スピードは25マイルを守っているよな。)約10分ほどの試験を終えて免許センターまで戻ってきた。MR.Asano あなたは右に曲がるとき後ろを2回振り返らなかった。ゲゲッ。『マイナス10ポイント。YOU PASS THE TEST。』ここに帽子があったらきっと空に放り投げたことでしょう。(愛と青春の旅立ちのエンディングより)一緒に受けた萩原さんは満点で見事PASS。
18ドル払って6年間有効の免許証を手に入れた。最後に日本の免許証の裏側にスタンプで『この免許証はハワイ州では運転できません』と押された。これからは良識あるハワイのドライバーとして優良な運転をすることを心に決めました。前日から並んで順番取りをしてくれたK君にお礼の150ドルを払い、免許取得の残金200ドルをクレジットカードから引き落としてもらいすべての手続きが終了しました。午前10時前にはワイキキまで戻ってきました。
この3日間。何か新しいことにチャレンジする緊張感とわくわくの連続でした。検定で実際に走るコースを熟知し、二日間的確な指導で暖かくアテンドしてくれたイーグルトラベルの皆さんのサポートがなければ、私たちのような限られた時間の旅行者がスムースに免許取得するのは到底不可能だったと思います。松本社長、みわさん、並んでくれたK君、一緒に免許を取得した萩原さん世話になりました。
浅野
Vol.49 2007.08.22免許取得その2
今日は免許取得二日目。3月から勉強してきた学科試験だ。
朝9時ビーチタワーにイーグルトラベルの松本社長が迎えに来てくれる。2月から何度もメールのやり取りをしてきたので初めて会った気がしない。松本社長はハワイ移住暦約20年。大手旅行代理店のハワイサイドの受け入れをされてきたのでハワイの生き字引だ。4月に帝国ホテルで行われた、ハワイ不動産セミナーの主催された深山社長と同じビルに入られている。何か縁を感じる。
今回私ともう一人兵庫県西宮から来られている、萩原さんという美容店チェーン店のオーナーと一緒に受験することになった。ハワイキタワーで萩原さんをピックアップして目指すはワヒアワの試験場。『ダウンタウンのディリングハムにも試験場はあるけれど、交通量も多く運転教習も出来ません。ワイキキからちょっと遠いけれど30分以上かけてワヒアワまでいくんです。』筆記だけサット済ませて後はいつもハワイで運転しているようにすれば、何とかなると甘く見ていた私は真剣になる。
松本社長から実地試験合格のマル秘虎の巻をもらい車の中で目を通す。『一番最初に目の試験があります。左右どちらでも0.7あればOKです。』『アルファベットと数字で2回やります。その後サイドヴィジョンと言って横の視野検査もやります。』『学科は先日皆さんにお送りした問題集171問の中から30問が出ます。24問正解であればOKです。問題のパターンは5個くらいあるのでお互いにカンニングは出来ません。』そうこうしている間にH2を降りワヒアワの町に到着する。警察署の中にある免許センター受付に入っていく。受付で昨日ソーシャルセキュリティオフィスから送った受験申し込みが、来ていることを確認して学科受験の申請2ドルを払う。
目の検査をしてびっくり。見えない。眼鏡も持ってくればよかったと泣き言を言って何とか視力検査をクリアする。受付の隅でいくつか無造作に並んでいる机に萩原さんと座り30問の問題に取り掛かる。試験を受けるのは何十年ぶりだろう。ほんの15分くらいのことだけれど何回か見直しをして受付に戻すとその場で採点してくれる。『アーあなた、フルマークよ。』萩原さんも私もノーミスの満点だった。ドラゴン桜を伊達に読んでる訳じゃない。頑張った自分達をここは素直に褒めてあげよう。学科がパスしたところで5ドル払って1年間有効の仮免許を発行してもらう。『よしよし仮免まで来たぞ、あと一歩だ。』
仮免が来たところで、松本社長が横に乗って路上テストの教習が始まる。『マージライト(右に車線変更すること)。ターンレフト(左へ曲がる)。プルオーバー(路肩に止めて)』など普段聞きなれない言葉を教えてもらう。萩原さんとそれぞれ約30分ずつ実際の検定使用コースを何度も何度も指示通り走り続ける。
何十年もハワイで運転していてこれだけしっかり基礎から習ったことがなかった。明日大丈夫だろうか?不安な気持ちとともに3時過ぎワイキキに戻る。
浅野
Vol.48 2007.08.20免許取得その1
今回のハワイにはもう一つ目的があります。それは念願の運転免許証をとること。今年1月、あいている時間を使ってなんとかこちらで運転免許証を取りたかったのですが、スケジュールに無理があったことと、怪しげな運転免許ブローカーも多いことがわかり、前回はあきらめ、今回のハワイにかけました。友人知人に聞きまくり良い人にめぐり合いました。
私がみなさんに安心してご紹介したい方はイーグルトラベルの松本社長です。アメリカ在住約20年。ハワイの日本の大手旅行代理店でパッケージツアーの受け入れ業務をしていた方で、現在独立し旅行代理店をされています。

2月に友人から松本社長の紹介を受け、今回のハワイ旅行の大体のスケジュールが決まった時点で申し込みを確定しました。クレジットカード番号を連絡し300ドルを支払った後、松本社長から日本語で書かれたハワイ州運転免許試験問題集が送られてきました。問題集を4月に送ってもらってから、暇が出来るとパラパラとめくっていました。
免許取得にかかる日数は正味3日間です。しかし朝から午後までつかうのは1日だけ。オアフに到着して翌日、1時過ぎにイーグルトラベルのみわさんがステイ先のビーチタワーにピックアップしてくれました。免許取得初日は連邦政府ビルに行き、ソーシャルセキュリティナンバーの取得と、どこの免許試験場で受けるかを申告し、証明書を試験場へファックスしてもらう作業です。1時過ぎにFBIビルに入るといろいろな人種の人たちがイスに座って順番を待っている。AとかXとかいくつかの記号があるが、免許関係はCだった。
順番待ちが長く待っている間、みわさんとハワイ生活のこと。日本のことを話す。FBIビルの中庭でさっき初めてあったばかりのみわさんと、ゆっくりと楽しく会話をしているのが何か不思議だ。3時半を過ぎると受付の入り口がぴたりと閉められてしまう。まだかなーと思っているとカウンターの中からC−444(私の番号)どうぞと呼ばれる。みわさんのおかげで手続きはすんなりと1.2.分で済ませることができた
ビーチタワーまで送ってもらいながらあしたの予定を教えてもらう。今日はハワイ二日目。今日の日没は7時。まだ、4時前だ。ビーチでたっぷり泳げるぞ。
浅野
Vol.47 2007.08.17いよいよハワイへ
一昨日の花火大会での興奮と、出発直前まで伊勢丹立川店さんで頑張ったおかげで、飛行機の中で、ぐっすり寝ることができました。お盆をはずした日曜日出発なので成田もホノルル空港もがらがら。出入国もまったく待たされることもなく一家3人無事アメリカに入国しました。
ハワイ便に乗るときいつも思うのだけれど、何であんなに気温を低くするんだろう。毛布を2枚重ねても足が冷えるし。ホノルルで飛行機を降りウイキウイキバスに乗ったときに感じる暑さは、絶対機内の温度を下げすぎのためだ。ハワイに着いた時すっきりとした自然の風を感じることが出来ると、それだけでハワイに来た〜〜感が、高まるのだけど・・・。
皆さんジャンボ旅客機の重さってどれくらいだと思いますか?約8,000キロ飛行するためにどれくらいの航空燃料を使っていると思いますか?ジャンボの機体は約170トン、ワンフライトの燃料は約160トンだそうです。こんなに燃料を使っていることに驚いたので航空運賃で燃料費の調整金が取られるのはしょうがないなと納得してしまいます。
航空業界も生き残りに必死で他の航空会社と共同運航したり、塗装をしないで機体を軽くし燃料を節約したり、先々ではハイブリット化を考え太陽電池を利用した省エネタイプの機体も発明していくかも知れません。機内の温度を上げることで省エネ出来るのならそうしたほうが良いと思う。

いつものようにバジェットレンタカーのカウンターに行き、日本で予約したバウチャーを提示する。チャイルドシートを借りすべてセットし、H1の渋滞にもまれながら宿泊先のビーチタワーを目指す。いつもだったらKSSKラジオの923に合わせてハンドルを握っていると、なんとなく緩んでいくんだけれど、今回仕事モードが強すぎるようだ。福岡のオープンにあわせ内装、、商品群の選定、ディスプレーイメージなどを考えていると、頭ばかりが回ってしまう。これでは日本にいるのと同じだー。早く海に入って仕事モードを解きたい。
荷物を車から降ろして3時のチェックインまでカハラモールで小物を探す。為替が119円前後だと日本で買い物をしたほうが安いと感じ物欲が沸いてこない。今年日本人観光客が少ないのは為替のせいなのかな?と思っていたらカハラモールで気がついた。喫煙場所がほとんど無いんです。タバコ禁煙条例が制定された影響でハワイが敬遠されていると思う。禁煙で敬遠されたら観光業者はたまらないけれど、観光で生きているハワイ州政府はこれから先どうするのでしょう?
浅野
Vol.46 2007.08.15久しぶりに
4月にホロホロを書いてから4ヶ月新規更新をしていませんでした。途中で何度もハワイのトピックスはあったのに、最近怠け者になってきたようです。反省しきりです。
4月末に吉祥寺、5月中旬に相模原、7月末に立川の伊勢丹さんのハワイアンフェアに出店しました。そこでたくさんの新しい方々とお会いできて楽しかったです。
いま、世間ではハワイブーム。フラダンスのお教室も入会ウエイティング状態だそうです。
セカンドライフをハワイで過ごしたいという不動産物件の、問い合わせも多いとの事です。
私もハワイに住みたいのですが、なかなかそう自由に動けるものではありません。しばらくは国内に残りハワイを意識して仕事をしていきます。
そうそう、皆様にお知らせがあります。今年の11月福岡市内でハワイアンのショップを出すことになりました。新ラインを充実して九州最大のハワイアンジュエリーのお店を出店いたします。九州の皆様。お店の内容が詳しく決まったらお知らせいたしますので、どうぞ宜しくお願いいたします。
今回のハワイは7月29日から8月10日まで、お盆を微妙にはずして行ってきました。コア製品やディスプレー、フラ用品、ジュエリーの新しいラインの研究など、結構忙しく働いてきました。また、短期集中連載となりますがお付き合いください。
出発前日、7月28日は江戸っ子にとっては絶対はずすことが出来ない隅田川の花火大会でした。今年は復活再開30周年と言うことで花火の数も大増量。打ち上げ第二会場目の前に住む弟の部屋で、たまやー。かぎやー。と叫んでいました。翌日参議院選挙投票をしっかり行ってから結果を知らずノースウエストに乗り込みました。離陸する時ちょうど雷が鳴り始め、上空10キロ〜20キロ離れた横から、上から稲妻が光るのをずーっとみていました。空全体が光輝くこんな光景はめったに見ることができません。人間の力が及ばない大きな自然の力にただ、圧倒されたフライトでした。
浅野
Vol.45 2007.04.23ハワイの不動産

日本に戻って早3ヶ月。桜の花見もやったあとのこの天気。アル・ゴア元アメリカ副大統領が『不都合な真実』と言う著書の中で啓蒙活動を続けている、二酸化炭素排出量を減らし、地球温暖化防止しようという活動が上手くいかないと、地球の気候は大きく変化し、生態系にも大きな影響を与えることは間違いないようです。
1月にドイツで行われた世界の科学者達が集まり、二酸化炭素が気候温暖化にどのような影響を与えているか?という評価会では、さすがにアメリカも歩調を合わせ始めたようだけれど、ただ1カ国中国だけが非協力的だったそうだ。13億の民が秩序無く消費生活に目覚めたら、間違いなく地球の環境システムを破壊するだろう。
今私達が経験し直面しているこの気候変化は異常なものではない。地球からの正常なフィードバックなのです。
前置きはともかくとして、先日帝国ホテルでハワイアン・ジョイ社の代表深山誠二氏主催のハワイ不動産購入、税制、会社設立のセミナーがあり出席してきました。
約1時間みっちりと勉強してきました。
●ハワイの不動産を購入するのはアメリカ本土のハオリ(島外人)で、引退したら気候の良いハワイに住みたいという、アメリカのベビーブーマーたちが2,010年ごろから増えるだろうとのこと。需要がアップすることが予想され、現状の買い手市場から売り手市場へと移行する可能性が高いとの事。
●ハワイで不動産を買うのなら景観を買うのが鉄則。
●使わないときはバケーション用に貸し出しすることを前提に買うとはずれが無い事。
●全額キャッシュを必要としないで買う方法。
●日本人は別荘を買うと言う感覚。アメリカ人は投資したと言う感覚。この感覚の違いの解説。
ハワイでの深山氏の30年を超える不動産ビジネスの生の経験を聞くことが出来て本当に良かったです。私もいつかあこがれのビーチタワーを手に入れるぞ。
改めて温暖化で海の水位が上がらないこと願い、資源を無駄にしないことを心に誓います。
浅野
Vol.44 2007.04.19前回の続き

皆さん樹環をご存知でしょうか?それは熱帯、亜熱帯の樹々が作る緑の層で、地球の酸素製造工場の役割を果たしています。樹の高さがそろっていて、まるでふかふかの緑の波のように見えます。ここ、パラダイスパークはまさにオアフ島の酸素製造工場です。この美しい樹環を眺めながらご飯を食べる場所があります。その名も『TREE TOPS』レストランです。
ここは中華のビュッフェスタイルで食べ放題、$12ドル位でなかなかおいしいです。窓際に一人座って緑を眺めていた私はトランス状態に入りました。遠くから聞こえる滝の音。これは樹環の上を渡ってくる風と相まってハーモニーを作ります。風のささやきが本当にささやいていることを実感出来ます。その音に合わせて鳥たちの声が聞こえてくるのです。私は30分ここに座っている間に悟りを開きました。心地よい環境の中で苦行なしの悟りのなのであっと言う間に消えていきましたが。静かに物事を考えるために最高の場所だと思います。
「TREE TOPS」レストランのオーナーは中華系移民のLEEさん。20年前に香港から移住し必死で働き、ようやくこのレストランの使用権を手に入れたとのことです。『ハワイのレストランオーナーは小間使いのようで、誰よりも忙しいんだ。』と言う話を聞くと、わが身と照らし合わせながらオーナーは大変なんだなと、他人事とは思えなくなります。レンタカーを借りて時間がある方は一度訪れて見てください。営業時間は森の中だけあって昼のみです。
マノア地区には『TREE TOPS』だけでなくお洒落なお店がたくさんあります。その代表的なものがWAIOLI TEA ROOM『ワイオリ ティールーム』です。ここは1929年に作られたキリスト教救世軍の職業訓練校の一角を借りて営業している、ハワイのヒストリック(歴史的建物)の一つです。ヘリコニアの花やジンジャーツリーに囲まれた落ち着いた雰囲気の中で楽しむ朝食、あるいはアフタヌーンティー($18.75)はお店のキャッチフレーズそのままで『just treat yourself for a day』です。ゆったりと緑の中で飲むお茶やケーキはきっと疲れた体をリラックスさせ癒してくれることでしょう。営業時間は月―金 10:30から午後3:30 土日 8:00から午後3:30です。時間がゆっくりと流れる場所でのひと時をお楽しみいただきたいと思います。
浅野
Vol.43 2007.04.10ちょっと間が開いてしまいましたがまだまだホロホロは続きます。

今回オアフ島が初めてという社員が多かったため、タンタラスの夜景を見せてあげたいなと思いタンタラスに行こうと考えた。夕飯の後ケアアモク通りを山のほうに上がっていき、H1に掛かる橋を渡り直進、坂を上った信号を右折し、一個目の信号を左折し、いつものとおりタンタラスに向かって上っていった。
でも今回のタンタラスは何か変だ。対向車がまったく来ない。いつもだったらあの長いストレッチリムジンがコーナーぎりぎりで、やっと曲がってくるカーブでも車が下りてこない。不思議だなと思っていたら、急カーブを通り過ぎ、山の直進の手前まで行ったところで通行止めになっていた。『せっかくここまで来たのに、何でだろう?』狭い山道で泣く泣くUターンしホテルに帰ってコンサルジュに聞いたら、タンタラスの上のカーブが地すべりで崩れかかったのだそうだ。修復工事は5月一杯掛かるだろうとのことで、これからしばらくの間、残念ながらホノルルシティライトはしばらくお預けです。
タンタラスはオプショナルツアーで観光客が訪れるあの夜景の場所をイメージしますが、私はそこから1キロほど走ったタンタラスパークの夕景をお勧めします。100万ドルの夜景という名が世界各地であるけれども、ここの夕景はその価値があるかもしれません。右手にホノルル空港。その先に広がるパールハーバー、そしてカエナポイントの山々。正面に広がるアラモアナセンターの円盤。左手のダイヤモンドヘッド。オレンジ色と白色の光のコントラストが作る光景と柔らかな風はまさに別天地(ハレクラニ)。ハワイのミュージシャン ケオラ アンド カポーノの名盤、ホノルルシティライツのアルバムジャケットの写真もここで撮られたようです。ただ、季節によってゲートのクローズ時間が違うのでご注意を。
オアフ島は海と波のイメージですが、今回は少し山のほうをご紹介したいと思います。タンタラスの真下にマノア地区という静かな住宅地があります。UHハワイ大学へ行く道。ユニバーシティーアヴェニューを登って、5分くらい走ると静かで落ち着いた住宅地になります。右手にマノアハイスクールを見ながら3分ほど走り左カーブに入ると、道が急に細くなりうっそうとした森の中に入っていきます。『あ、迷子になった。』と思っても我慢してあと1分走ってください。道が突き当り駐車場と上に掛かる橋のようなものが見えてきます。そこがマノアのパラダイスパークの入り口です。
ここは本当にオールグリーン。森の中です。イメージは青森県の奥入瀬渓谷?て言うくらいの森の中です。ワイキキエリアと比べると気温も3.4度は低いです。マノアパークには歩いて30分くらいのところに滝があるのですが、私はまだそこまで入ったことがありません。
浅野
Vol.42 2007.03.08後半組がやって来た。
ホノルル空港に迎えに行き、またレイスタンドでレイを手に入れる。団体口ではなく個人の出口で待ち合わせたのだが、いるいる。みんな元気に到着している。この時期は日本からの便も空いているのであっという間に通関したそうだ。4人掛けのセンターシートの肘当てを全部上に上げてゆっくりと寝られたそうだ。この快適さだとビジネスクラスより絶体に楽だなーと思う。これだけ元気ならいきなり島内観光を始めるか。
一人でハワイ生活をしたので静かに本を読むことが出来た。持っていったのはベストセラー『病気にならない生き方』もう一冊は80年前、サモアの酋長がヨーロッパに初めて旅行をしたときの驚きをつづった『パパラギ』。この本は2007年に生活する我々に生きる上で何が一番大切かを教えてくれる本。面白かったです。ゆっくりとした時間を楽しんでいたけれど今日は後半組みが来る日だ。

1月末ハナウマの先、ブローホール辺りではちょうど鯨たちが集まっている。H1をまっすぐEAST方面に走ること約20分。カハラモールに到着する。後半組みはハワイ初めての社員達が多く、アメリカの文化や料理、サービスやマナー習慣をしっかりと伝えなければならない。タバコを吸う場所も限られてきたので気を使う。カハラで適当にお弁当を食べハナウマを目指す。右側にゴルフコース、そして海が見えてくる。左にはニウバレーの山々、このあたりはホノルルマラソンのコースだ。
カハラから10分ほど走るとハワイカイに出る。ハワイカイはホノルルマラソンの折り返し地点で、静かな海から続く入り江だ。ここに住む人々の多くは自宅前に船着場を持っている。クリスマスの時期に自分達のクルーザーにデコレーションを飾り、入り江の中を何十隻も連なってパレードするところを見たことがある。なるほどハワイではサンタクロースは海に乗ってくるのだなと納得する。
ハナウマを通りこしたところにブローホールがある、そこで車を停めてじっと沖を見る。双眼鏡が要らない200メートルくらいの沖合いで鯨の呼吸が見える。よく見ると1頭ではない、何頭かの群れが呼吸をしたり、尻尾を空中に上げて水をたたいている。このあたりの海に集まる鯨はザトウクジラの群れだ。冬から春にかけて繁殖のためハワイの海に集まってくる。興奮した雄が、大きく10メートルくらい跳ね上がった。その巨体が着水したときの水しぶきに圧倒される。この鯨達を海から見たい人は、ワイキキの西はずれヒルトンハワイアンビレッジ前から3時間のクルーズコースがある。この光景はずっと見ていてもあきません。私の名前をイニシャルで書くとI.Aです。ハワイ語ので魚という意味なので、海が好きなのは当然かもしれません。
このホロホロ便りをお読みの方で、ご自分の名前をハワイ語に訳したい方がいらっしゃいましたら、ハワイ語の名前をお調べする無料サービスをしています。どうぞご連絡ください。
浅野
Vol.41 2007.03.04ロータリークラブとはマツダのロータリーエンジンにほれ込んだ走り屋クラブ
ロータリークラブとはマツダのロータリーエンジンにほれ込んだ走り屋クラブ。というのは冗談で、世界中ほとんどの都市にあり、全世界で120万人のメンバーにより構成されている多種多様な職業人の有志が集まる奉仕団体だ。週一回、『例会』と呼ばれるミーティングがあり、毎回いろいろな分野のゲストスピーカーが登場し各自の仕事に生かしていく。クラブのメンバーはその地域のリーダーが多いことから大いに勉強になる。私は2750地区(東京やグアム、サイパンをカバーしている)東京築地ロータリーに所属している。ちょうどみんなが帰った水曜日にワイキキロータリークラブの例会がパシフィックビーチホテルで開かれるのでビジター訪問することにする。
レンタカーでホテルの入り口につけ、ロータリーのミーティングに参加したいと言うと、車を預かってくれた。(バレットパーキングで便利でした。)2階のミーティングルームに入っていくと受付があり登録料の17ドルを支払う。さすがワイキキロータリークラブ、ビジターも日本だけでなく、アメリカ全土、アフリカ、北欧、ニュージーランドの方々も参加している。日本人のメンバーも多く私の隣に通訳まで付いてくれました。
最初にfour way test と呼ばれるロータリーの誓いをみんなで読みあげ、各メンバー達のニュイヤーズリゾリューション(新年の誓い)を発表しあう。女性の会員も多いので『今年こそやせたい。』とか、「早く引退したい。」とか、みんな共通の悩みなどが話され、ビジターの紹介へと続いていく。ビュッフェスタイルのランチを食べながら、一緒に通訳で座ってくれたワイキキで不動産業を営む、minamotoさんと話をする。最近上がり続けたハワイの不動産価格について。アメリカの不動産税制について。ワイキキロータリークラブの活動についてなど。さまざまな情報を頂いた。ロータリークラブは本当にありがたい。
今日のゲストスピーカーは、昔ダイヤモンドヘッドのふもとにあった、キャノンクラブと言うレストランの跡地を利用し、飲食業の料理のシェフを育成するプログラム設立のために動いているNPO法人の代表だ。サムチョイズなどの有名シェフたちを講師に迎え、ハワイ大学の観光学科の単位と併せ、意欲のある若者達にOJT(オンザジョブトレーニング)で実地に育てると言うものだ。ハワイは観光が一番の資源だと言う認識に立って作られたコンセプトを、スライドを見ながら約30分質疑応答つきでレクチャー受けた。うちの会社は飲食事業もあるのでこの試みには思わず引き込まれた。
最後に全員でくじ引きをしたりしてお開きとなる。ぽっかりと空いた日を有意義に埋めてくれた時間だった。夜はグレンとベトナム料理を食べる約束をしている。
浅野
Vol.40 2007.03.01前半組が帰国した。私は自由だー。
世界の中心からそう叫べるような気がしたのだが、空港で帰国するみんなにレイを掛けてあげたりしていると、楽しいはずのこれからの二日間が寂しくなってくる。『そういえばハワイにいるときはいつも誰か一緒にいたなー。サーフィンやってて鮫に食べられたり流されたりしたらどうすんだろう?』などと弱気の虫が動き出す。そういえばハワイに来る前に娘が『パパだめだよサーフィンしちゃ・・・』とずっと言っていた。直前に見た夢はパイプラインでテイクオフに成功したとたん水面からリーフが盛り上がってくる夢だった。ま、いいか、夢に見たんだから現実には起こらないだろうと腹を決める。しかし、やはりノースは避けていつものアラモアナに向かう弱気な私でした。
今回、時間があるのを幸いと、長年の夢であったハワイの運転免許に挑戦しようと考えた。ドライバーライセンスがあると、例えばゴルフ場などはカマアイナレート(地元特別料金)で回れる可能性が高い。ホテルの料金割引も交渉しだいでは何とかなる。(ホテルについては秘密ディスカウント方法があります。十年位前、自分がアメリカ人だったら定価でワイキキの高いホテルに泊まるはずが無いだろうと、フロントの人からその方法を教えてもらいました。しかしこれはここで公表することは出来ません。)
さて、免許取得の方法ですが・・・
●こちらに寄留する住所を作り移民局に行き、ソーシャルセキュリティナンバーをもらう。
●目の検査、筆記試験。
●実地試験。
ざっくりと書くと以上3つの手続きで済むということだ。合計3日間は必要なのだが、Bの実地試験の順番待ちが大変なようだ。
日本人専門の免許斡旋をしているところに電話をして聞いたら教本、免許取得のための車を貸し出す費用(レンタカーでは免許は取れません)早朝4時から待って順番待ちをしてくれる学生へのチップ約100ドル、合わせて約900ドルするとの事。むむ、ちょっと高すぎる。しかも現金のみ。これはやめておこうとあきらめた。免許斡旋の人の話によると来年以降この方法では取れなくなると言うことで、今年が最後のチャンスだとの事でした。でも900ドルではちょっとねー。
夜はグレンと食事を食べながらミーティング。どんな風にこの二日過ごそうかと悩んでいたときにロータリークラブの事を思い出した。
浅野
Vol.39 2007.02.24M・L・K DAY
今日は(MLK)にささげるつもりでホロホロを書きます。
9時からワイキキでMLKのパレードがあるので早めにワイキキを出る。カハラモールでシナボンやキムラヤのアンパンを買い、KBトイで娘に頼まれていたドーラーちゃんのぬいぐるみをゲットする。(ドーラちゃんはディズニーのキャラクターで南米から移民してきた.6.7歳くらいの設定。腕時計をしてランドセルを背負っている姿が子供心をくすぐるのだそうだ。)移民の国アメリカならではの人気者だ。
移民と言えば今度アメリカの大統領選挙で民主党の新人上院議員のオバマ氏(45才)が話題になっている。母親はアメリカ人、父がケニア人のアフリカン。両親の離婚に伴いオアフ島に移住し名門プナホウハイスクールを卒業した秀才だ。民主党の統一候補になれるかどうかあのヒラリークリントンとの一騎打ちが見ものだ。ハワイの選挙好きの人たちは今からヒラリーが大統領でラニングメイト(副大統領)がオバマだったら史上初の女性大統領、副大統領に初の黒人のミックスブラッドですごいことだとうわさをしている。
今日はアメリカの公民権運動の父、マーチン・ルーサー・キング牧師の記念日。(MLK Day)1865年に南北戦争が終わってから100年近くたっても、アメリカの南部では激しい差別が続いていた。kkkという白人至上主義者たちが夜な夜な歩き回り、州政府も黒人に選挙権どころか人間としての権利も最低限に押さえ込み、公の交通機関であったバスの席などでも、あからさまな差別があった。1955年のある日、朝からの仕事で疲れた黒人の中年女性パークス夫人が、自分が座っていた席を、後から乗ってきた白人の若者に譲らなかったことを理由に、逮捕されたことをきっかけに、南部の黒人教会を中心にバスのボイコットを呼びかけた。これが公民権運動の始まりだった。その指導者に選ばれたのが27歳の若い牧師MLKであった。
彼はインドのガンジーの独立運動にならい非暴力を貫いた。彼の熱い情熱と心に届く力強いメッセージは、すべての黒人ばかりか白人達も動かした。彼のワシントンの広場での演説I have a dreamを読んでみました。その内容の深さに私自身も大きく動かされました。心を動かされた白人の代表が当時の民主党大統領候補者J・F・ケネディであった。ケネディは全面的にキング牧師を支持することを公約し、公民権運動を自身の選挙公約に上げた。一方の共和党候補であった、ニクソンはこの公民権運動に無関心を装った。その結果、アメリカ合衆国国民は第35代大統領にケネディを選んだ。ケネディがダラスで暗殺された後、アメリカには言いようもない暴力のムードが渦巻き、次の犠牲者は公民権運動のリーダーキング牧師となってしまった。キング牧師の功績と勇気をたたえ彼の誕生日に近い1月の第3月曜日をアメリカの休日とした。ケネディの後、大統領はジョンソン、ニクソン、そしてフォードと続くのだが昨年12月26日に38代大統領であったフォードが亡くなった。アメリカの公共建物に掲げる国旗(スターアンドストライプス)は一ヶ月間半旗とすることになった。時代の流れと一人の人間が信念の元に与える大きな力を考えるととても感慨深い。
浅野
Vol.38 2007.02.22私のハワイアンオープン
ハワイアンオープンの熱気にあおられて久しぶりにゴルフに行きました。ハワイでは高校生のタッド・フジカワの話題でローカルたちは盛り上がっています。153センチのあどけない顔をしてイーグルやバーディーを奪い、最終的に一流プロたちの中で20位フィニッシュしたのです。彼の活躍でハワイ出身の女子ゴルファーミッシェル・ウィーの男子プロトーナメント挑戦には意味が無いものとする論調も出ています。
ともかく、こうしたハワイ出身の高校生たちの活躍は間違いなくキッズやジュニアたちの刺激になっています。私がオアフでプレーするのはカイルアの町からワイマナロ方面に10分くらい走ったところにあるオロマナゴルフリンクス。ここはジュニア時代ミッシエルウィーが毎週通っていたコースでドライビングレンジ(打ちっぱなし)もあるゴルフ場。オアフにはたくさんのゴルフコースがありコオリナやマカハのように日本の料金と同じように150ドル近くするものから、オロマナのように80ドル前後で回れるところもあります。オロマナには2時半を過ぎると予約なしでも回れるトワイライト(薄暮)プレーもあります。私は知り合いがいるので乗用カートつきで25ドルでOKです。ぎりぎり日没に掛かるとボールが見えなくなり、泣く泣く18番くらいであきらめざるを得ませんがそれでも25ドルは魅力です。
日本と違い、ハワイでは二人乗り乗用カートでアウト(1番ホールから9番までゴーイングアウト)とイン(10番から18番までのカミングイン)を続けてプレーします。飲み物やスナックはスタート前のスナックバーで買ってカートに乗せ、ハーフが終了したところでトイレ休憩をかねて一休みした時に補給します。ローカルたちのゴルフスタイルはおおらかで短パンがほとんどです。一組の人数も4人に限らず仲間同士6人でプレーしているところも見かけます。(これは料金が安いオロマナだからか?)空気が乾燥しているのと暖かいので体が良く回り冬の日本に比べ飛距離も1割は多く飛ぶような気がします。キャディさんがいないので使ったクラブの管理、ボールの掃除など自分のプレーはすべて自分で責任を持たなければなりません。その意味でゴルフは大人の処し方を学ぶとても優れたゲームだと思います。
今回は社員の研修旅行ですが、冬の繁忙期を一生懸命頑張ってくれた慰労の意味もありこれは私たち社員のハワイアンオープンだ。と盛り上がっています。海から吹いてくる風が心地よく、ヌアヌパリの切り立った山々が青い空と美しいコントラストを描いています。こんな良い環境で大人達のサポートを受けて小さい頃からゴルフが出来るジュニアゴルファー達が、上手くなるのが良くわかります。私達のスコアは残念ながら個人情報の管理上決して言えるものではありません。
浅野
Vol.37 2007.02.19今日は二日目ちょっぴり眠い。
サーフィンが三度の飯より好きな飲食事業部長Iの『社長ボードを二枚もって行きますから大丈夫。』と言う言葉を信じて日本からボードを持ってこなかったのですが、『あまりノースが大きいと危ないのでサウスでも使える板を一本だけにしました。ごめんなさい。』『ごめんで済んだら警察要るか?裏切り者!』打ち寄せるハワイの波のように私の怒りは増していくばかり。早く海に入らないと私の細胞は壊れてしまう。早速この間知り合ったRVに連絡を取る。『RVボードを貸してくれ。』『OK ASANO!一日$20ね。』相変わらずこの親父は飛ばしている。『だったらこのボードを新しいフィンをつけて買うから、2週間経ったらまた、ここに置いて売ってくれるか?』『でも安くなるぞ。』『OK』といった感じで商談が成立。横で見ていた日本人のスタッフSANAEさんは、まったくうちのボスったら・・人の足元ばかり見て・・・二人のやり取りにため息をついている。
RVが得意そうにこの間ニホンの雑誌が取材に来たよ!と言って記事を出してきた。ディープなハワイアンと言うことでRVが紹介されていた。よく見たら大先輩の漆島さんがエディターのハワイ特集のムックだった。漆島さんは私と同じ東京築地ロータリークラブに所属していて、彼の会社竢o版は湘南の生活やバスつりの雑誌、ロングボードの専門誌NALUなど多数出版している。あの『エディーウッドゴー』も昨年日本で出版した。ここで漆島さんの仕事にお目にかかれるとは思わなかったのでRVと大いに盛り上がる。
今日はこの中古ボードを持ってとりあえずノースショアに向かう。あい変わらずH1の渋滞で思ったより時間がかかる。途中大好きなモアナルアガーデンであの大きな木にさわり気を交換してそれからH2に向かい一気にハレイワの町に向かう。私はノースに向かうパイナップル畑を走るのが大好きです。大きな雲、青い空、燃えるような赤土、パイナップルの緑の海。ここを通るたびにハワイに帰ってきたことを実感する。パイナップル畑を15分も走るとハレイワの町だ。
社員のみんなは一足先にクアアイナのハンバーガーやシェイブドアイスを食べているはずだ。ちょうど待ち合わせの時間についたので波を見に行くことにした。目指すポイントはエフカイビーチパークとあの有名なパイプラインのポイントだ。パイプラインの本当の名はバンザイパイプライン。1970年代より以前このポイントでサーフィンをするのは自殺行為と言われていた。波のピークからボトムに落ちて行く時の感覚は、まるで崖の上から飛び降りるのと同じ。そして浅い海底で待つ牙をむくリーフ。ここでのサーフィンは本当に命がけだ。第二次世界大戦のハワイ日系人442部隊の合言葉『命を惜しむな当たって砕けろ(go for broke)バンザイ。』がこのポイントに付けられた。
今日はボディボードの世界大会をやっている。サイズは15から20フィートくらい。昨日このエフカイでサーフィンをしていた35才のベテランサーファーが行方不明になり上空をヘリコプターが探している。同じ35才の部長と50才の私は黙って海を眺め冥福を祈る。
浅野
Vol.36 2007.02.151月半ばから末までオアフに行っていました。
1月のハワイは久しぶりです。2月3月と冬のハワイは天気が悪い事が多いのでちょっと心配をしていましたが、2週間で雨になったのは1日だけでした。今回は4年ぶりのハワイ社員旅行です。15人ずつ2班に分かれて私は前後を一日ずつ短くして中二日を一人で滞在することにしました。うちの会社はフードもやっているのでハワイの食文化や接客、ホスピタリティ(おもてなしの心)はとても参考になります。
空港でレンタカーを借りて目指したのはワイキキビーチコマーホテル。前日に社員達がチェックインしているので、早めに部屋に入り昼寝でもしようかと思っていたら、私の到着を待っていた皆は元気100%。昼寝をしようという計画はあっけなく流れてしまい、全員でレインボードライブインの弁当を食べに行きました。レインボーの弁当スペシャルはボリュームもあるし、マヒマヒ(ハワイ語でシイラという魚)チキン、ビーフ、私の大好きなマカロニに、たっぷりのご飯、キャベツが少々付け合せとなり、そこに醤油をかけたのが絶品です。若いスタッフたちでも一人で一つの弁当を食べるのは大変です。
レインボーまで来たんだからダイヤモンドヘッドに登ろうかということになり、若い奴らは勢いがあるなーとしみじみ思う。カパフルから5分も走るとダイヤモンドヘッドクレーターにつきます。頂上まで歩いて25分ほどの距離ですが、ハワイ到着初日で眠くなったきた私は何人かで下に残ることにしました。学生時代、私のサークルでは根性をつけるために、新人が参加者50人分ずつの水を持って登ったものです。運動会で転んでケガをするお父さんはきっと、自分の若い頃の体力イメージと現実が合わないのだろうなとしみじみ悟る。
今回、荷物が多くなるのを覚悟の上でスーツケース、ゴルフバック、そしてギターまで持ってきました。ダイヤモンドヘッドの下で、ござを敷いて歌を歌っているやつが私です。一時間も待っているのが面倒くさくなったのでカハラエリアをドライブしようということにしました。ちょうどアメリカプロゴルフツアー初戦のハワイアンオープンが、カハラの名門コースワイアラエカントリークラブで開催されていたのでその会場にも足を運びました。ハワイアンオープンで人気の的は日系の高校生ゴルファー、タッド・フジカワです。何しろUSPGA(アメリカプロゴルフ協会)主催ゲームを50年ぶりに最年少で通過したのでハワイの人たちはこのシンデレラボーイの出現で大興奮です。身長は153センチくらいしかないのにドライバーは280ヤードを越すロングドライブです。あどけない顔をしたフジカワの笑顔とプレーはすべてのギャラリーの心をつかんだようです。
ワイアラエを後にして今度はカハラモールに行く。ここでダイヤモンドヘッドに上った連中と合流してシナボンを食べる。初日からこんなに動くと大変です。早くホテルにチェックインして昼寝をしたい。そして夜は軽い和食にしよう。
浅野
Vol.35 2007.02.08初便り
WEB製作者の金子です。この度ハワイに行ってきましたのでご報告を、と思いまして筆不精ながら書かせて頂きます。
愛煙家にとって2006年11月16日から『新禁煙法』という非常にキツイ法律が施行されてしまい、戸惑いを感じながらの渡米でした。まず第1関門の成田空港。ここでは機内預けの荷物にもライターが入っていた場合、没収されます。しかし、愛煙家の私はそれを察知し、マッチをもっていきました、携帯灰皿持参で・・・。いざホノルルに着くとやはりどこを見ても『禁煙』の文字がいたる所に書いてあり、以前まではゴミ箱の投函部が灰皿になっていたのですが、そこも綺麗になっていました。やはりどこでも吸えないのかーと思っていたら、カラカウア通りのモアナサーフライダー脇に灰皿発見!とても灰皿には見えないのですが、私にはそこがオアシスのように感じられました
今回ノースの方面に向かう時にお決まりのドール農園に立ち寄り、集合時間までに時間があったので『パイナップル・エクスプレス』に乗ってみました。初めて乗ったのですが、パイナップルがなっている近くを電車が通ったり、広大なパイナップル園を一望できたりしてとても気持ちよかったです。日本人向けにアナウンスガイドがあり、たまに寄り道をしてみるのもいいかなと思いました。次回は同じ敷地内の『ガーデン迷路』をチャレンジしてみたいと思います。
旅行の合間にゴルフにも行ってきました。今話題のミシェル・ウィーがかつて練習していてホームグランドと言っても過言ではないゴルフコース、オロマナ・ゴルフリンクスでプレーしてきました。やはりハワイの気候のためか、よく飛びました!私は右に・・・(笑)。1つ残念だったのが1週間早ければソニーオープン・イン・ハワイの真っ最中だったことです。見たかった・・・。
総括して思ったことですが、当HPにはもっとハワイの楽しさや、素敵さを閲覧者の方に感じていただけるように、することがいっぱいあるんだと感じました。これからは今以上に、見やすく楽しいHP作りをしていく為に、今回ハワイで感じたことや、新たな発見などを配信していけるように、努力していきたいと思います。
金子
